「医療の産業化」について

                             20061018日発行
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JMM [Japan Mail Media]                 No.397 Extra-Edition3
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  読者投稿:「医療の産業化」について

   中野玲二    :新生児科医

質問:村上龍


Q:732
 10月1日付の読売新聞は、ある東大教授の「医療の産業化」をテーマにした小論
を掲載していました。財政負担が軽く、かつ経済格差を生じない医療の産業化という
ものがこの社会に存在するのでしょうか?

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 読者投稿:中野玲二

 私は現在海外在住の新生児科医です。昨年まで日本国内の新生児集中治療室にて主
に勤務していました。まず、編集長が質問の中に引用した読売新聞の記事は読んでい
ないので、記事の内容を把握していないことを述べておきます。そのため、医療の産
業化という言葉について触れた後に、私の臨床医としての経験および文献、書籍から
得た知識をもとに、医療の産業化と経済格差について述べます。

 最初に医療の産業化という言葉についてですが、医療は経済活動から無縁なわけで
はなく、ほとんどの医療行為は医療活動としての側面を持っています。つまり、医療
はいままでも産業であったと言えます。最近、病院の株式会社化、民営医療保険の導
入などに代表される市場原理の医療への導入を医療の産業化と読んで、医療改革を唱
える人たちがいますが、彼らは医療への市場原理の導入という本質的な概念にオブラ
ートをかぶせるように、故意に医療の産業化という言葉を使用して議論しているので
はないかと感じます。

 編集長の質問の中の医療の産業化が、上記の意味であるならば、私の結論は「財政
負担が軽く、かつ経済格差を生じない医療の産業化というものはこの社会に存在した
ことはなく、これからも何処の国にも存在しない」というものです。もし存在すると
すれば、それは国民全員が一定以上の大金持ちという状況のみでしょう。

 ここ数年、マスメディアも日本政府の医療制度改革論議を受けて、病院の株式会社
化といったテーマを扱うようになりました。そのほとんどは、米国の医療制度との比
較で論じられているわけですが、いつも違和感を感じます。その違和感は、マスメデ
ィアの報道における文脈において前提とされていると思われる事柄に対するものだと
思います。

 その一つ目は、日本の医療水準は米国の医療水準と比べて劣っている、米国医療の
方が優秀だという前提です。もちろん先端医療の多くの分野や医学研究におけるレベ
ルは先進国中トップであるわけですが、総数としての患者さん達が受けている医療の
レベルにおいては、米国は先進国中最低レベルであるというのが、国連機関であるW
HOの例年の評価です。その原因の主なものは、医療を市場原理に委ねている米国の
医療制度にあります。誤解を招くとよくないので述べますが、日本医療と比べて米国
医療の優れた点はたくさんあります。一部の例として挙げれば、医学の教育システム
の充実やインフォームドコンセントの普及、最近では医療事故防止のためのシステム
としての取り組みは、明らかに日本医療と比べて差があるでしょう。しかし、米国に
おいて総数としての患者さんが受けている、もしくは受けることが可能な医療レベル
は決して日本と比べ高いわけではないということです。また高齢化社会に向けて日本
の医療費支出が急激に上昇するという政府の予想は、毎年はずれており、政府の予想
程伸びていません。私は故意的な印象さえ感じます。

 二つ目は、日本の医療費支出が高いという前提です。他稿でも触れられているので
簡単に述べますが、昨年の対GDPで計算した医療費の割合はOECD加盟の先進国
の中で最低レベルの規模(7%台)です。一方、医療を市場原理に委ねてきた米国は
1位で、日本のおよそ倍であり、依然として増加傾向を示しています。さらに、病院
における患者さん一人当たりに対しての医療スタッフの数は医師、看護師、コメディ
カルを含めて、米国の方が圧倒的に多く、この差の原因の一つは医療費支出額の差に
あると言えます。また、先程述べた米国の医学教育システムの充実やインフォームド
コンセントの普及、医療事故防止のためのシステムとしての取り組みの実現には予算
がかかっているという事実もあります。もちろん、日本においてこの3点が遅れてい
るのは、予算がないことが本質的な原因ではないかもしれません。

 ここで、無駄な医療費とは何かということについて少し述べます。日本の医療費支
出のなかで、不適切もしくは不必要な薬の処方を減らすことが、ある程度は医療費の
減少につながることになるとは私も思います。現行のシステムでも薬の保険適応の認
可の過程で制限も行えば現在でも可能ですが、認可させたい製薬会社、沢山の薬を期
待する患者さん、効果の薄い薬を処方する医師といった要因で、一筋縄にはいきませ
ん。また、有効と無効の間に線を引くことは実は難しいのです。多少専門的な話にな
りますが、ある薬が1つの目的(エンドポイント)に対して、どのくらい有効で、ど
のぐらい有害な副作用があるかという指標にNNT(Number Needed to Treat),
NNH (Number Needed to Harm)というものがあります。非常に乱暴に言うと『何人
に投与してはじめて一人の有効症例、有害症例が出るのか』という指標です。たとえ
ば、心筋梗塞を予防する薬を投与した10人と無投与の10人が、一定の期間に心筋
梗塞にそれぞれ2/10人(20%)、4/10人(40%)なったとします。よう
するに10人に投与した場合2人の心筋梗塞を予防できたということになりますので、
NNTは5となります。一方、これを有害な副作用に当てはめたものがNNHです。
つまり、NNTが低く、NNHが高い薬が優れた薬ということになります。

 このような考え方が出て来たのは最近であり、計算のもととなる比較試験データが
多くの薬に関してあるわけではないのですが、医師は処方に際して本来はこのような
観点を考慮して処方の有無を判断すべきであるし、投与の目的が臨床上意義が多くの
患者さんが感じられるものなのかということにも目を向ける必要があるでしょう。当
然ですが、NNTがいくつ以下なら薬として有効かといったコンセンサスは医学界に
もまだありません。これからの課題です。だからこそ、患者さんへの説明に際しても、
こういった指標で説明することが広まれば、もっと話は判りやすいと思います。極端
な話、外来で患者さんが医師に『その薬のこの目的に対するNNTはいくつですか』
と聞くぐらいで、いいのではないでしょうか。一般に製薬会社はNNT, NNHを敬
遠します。医師への教育なくして無駄な処方を減らすことはできないと思います。市
場原理に委ねたら、効果の低い費用の高い新薬がたくさん処方される状況が増えるこ
とが予想されます。もちろん教育には長い時間を があり、すぐに有効ではありませ
ん。ただ、スタートしないといつまでたってもゴールは見えません。

 違和感の三つ目は、お金を払えばもっといい医療が受けられるという前提です。日
本の医療において、患者さんが10倍の支払いを病院側にされたとして、現行の医療
と比べどのぐらい質の高い医療を提供できるのでしょうか。そのほとんどは病気を治
すという医療の本質とは離れた接待、サービスの提供に限られると私は思います。未
承認の薬や治療法といったケースを問題にするのであれば、なぜ保険認定されないの
かを問うのが、合理的な議論です。明らかに有効な薬は承認されるはずですし、いま
までも承認されています。現在の日本の医療制度は、緊急搬送の場合を除けば、誰も
がどこの病院の外来にも自由に受診できるという権利を保障されており、また治療面
でも基本的には可能な治療は必要な患者さん全員に行われていると思います。もし、
差があるとしたらそれは患者さんの経済的格差によるものではなく、医療スタッフの
能力による差だと思います。少なくとも患者さんがお金をもっと払ったからといって、
よりいい治療を得られるというのはほとんどありません。医療の産業化に伴い医療の
質が上がるというのは幻想であり、この考えを実証している医学論文は多々あります。
またその逆の研究結果を報告している医学論文はほとんどありません。ここでの医学
論文とは医学系の学術論文のことです。株式会社化された病院はコストが上がり、ク
オリティーが下がり、医療事故も増加するというものが代表的です。以下に例として
文献を3編挙げます。要約は無料で閲覧できます。

THE ASSOCIATION BETWEEN FOR-PROFIT HOSPITAL OWNERSHIP
 AND INCREASED
MEDICARE SPENDING
 
N Engl JMed 1999;341:420-6
http://content.nejm.org/cgi/content/abstract/341/6/420

Charges for Childhood Asthma by Hospital Characteristics
Pediatrics 1998; 102: e70.
http://pediatrics.aappublications.org/cgi/content/abstract/102/6/e70

Use of High-Cost Operative Proceduresby Medicare Beneficiaries Enrolled in
For-Profit and Not-for-Profit Health Plans
N Engl J Med 2004 Jan 8;350 :143-50.
http://content.nejm.org/cgi/content/abstract/350/2/143

 最後に、市場原理の導入論において欠如している論点を挙げます。私は経済学には
無知ですが、市場原理に基づいて患者さんがより良い治療を受けたくて病院を選ぶと
した際、何を基準に選べばいいのでしょうか。A病院とB病院を比較するのは、Aス
ーパーとBスーパーを比較するのとは違います。患者さんが病院に受診するのはスー
パーに買い物に行く日常ではありません。基本的に非日常な行為です。また、一つの
病院を受診した複数の患者さんはおそらく複数の違った感想を持つでしょう。担当し
たスタッフとの相性もあるかもしれませんし、病気や病状によっても異なるでしょう。
私の臨床経験から言うと、患者さんたちが病院、医療スタッフに望むものは、極めて
多様になってきています。私の予想では、幾ら市場原理が進んでも、医学的に優れた
病院に必ずしも患者さんが集まるとは限らないと思います。また、地域にたくさんの
病院があるのは都会のみです。選択の余地があって初めて市場原理は働きます。そも
そも、市場原理導入論は民間医療保険の導入とセットで議論されており、そこでは民
間保険会社は特定の病院と契約することが想定されています。契約とはその民間保険
が有効なのは契約病院を受診する場合に限られると言った制限のことです。つまり、
医療機関へのアクセスを制限するわけですが、アクセスが制限された状況で、市場原
理は正しく機能するでしょうか。矛盾した議論です。また、出来高払いを利用して医
者は儲けているという指摘もマスメディアは前提としている場合が多いのですが、勤
務医の給料は診療報酬とは関係ない場合がほとんどであります。実際、病院が赤字に
なったとしても、目の前に患者さんがいれば多くの勤務医は必要な治療を行います。

 医療制度を論じる際のキーワードは3つあります。コスト、アクセス、クオリティ
ーです。コストが制限され、アクセスが自由であった日本において、市場原理が導入
されコストとアクセスが今より制限されたらクオリティーが低下するのは自明です。
経済格差による医療サービスに差がでるのみならず、コストが現時点で制限されてい
る日本においては全体の医療レベルも下がると想像します。社会学者のテッサ・モー
リス・スズキは、医療に代表される今まで商品経済のカテゴリーになかった分野に市
場原理が入ってきている状態を『市場の社会的深化』と呼んでいます。米国市場がそ
の最先端ですが、その米国の医療経済は悪循環にはまっています。医療の産業化によ
って恩恵を得るのは、それにかかわる企業であって患者さんではないという点を曖昧
にすべきではありません。

参考書籍
『アメリカ医療の光と影ー医療過誤防止からマネジドケアまで』著:李啓充 医学書

『市場原理が医療を亡ぼす』著:李啓充 医学書院
『HMOに娘は殺されたー米国最大の健康保険維持機構 』著:ドロシーキャンシラ
集英社
『ビッグ・ファーマー製薬会社の真実』著:マーシャル?エンジェル 篠原出版新社

                                                       
新生児科医:中野玲二

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2006年10月18日

2006(平成18)年10月18日(旧暦 8月27日)

水曜日

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佐賀県は、18日から19日にかけて、高気圧に覆われて晴れるでしょう。
佐賀県の沿岸の海域では、18日、19日ともに多少波がある程度でしょう。

 




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