肥前評論:古川知事へ /佐賀
下記、アドレスで是非ご確認下さい。
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/saga/news/20060919ddlk41070111000c.html



肥前評論:古川知事へ /佐賀
 先日の古川康知事の言葉は「感情的で大人げない」と思いました。いや、一種のおごりさえ感じてしまいました。
 九州電力玄海原発で実施される予定のプルサーマル計画について、市民団体が目指している県民投票に反対の立場から述べたコメントに、私は強い違和感を感じたのです。
 県民投票条例案の内容を市民団体が発表した今月9日。知事は「県民投票の判断が間違っていたら、だれが責任を取るのか。県民全員が専門的なことまで勉強して判断するのが現実的か。(国と九電を信頼して)計画実施に同意した県が責任を持ち続けるべきだ」と反論しました。
 違和感はどこからくるのか。まず県民投票の判断、つまり民意が「間違っているかどうか」なんてだれにも分からないはずです。いったいだれが何の根拠で正しいとか誤りだとか決めつけられるのでしょうか。
 さらに「県民全体が専門的なことまで勉強して判断するのは現実的ではない」と言っていますが、裏を返せば県民をばかにしている証左といえます。住民の理解は投票期間中にいろんな視点から論議してこそ深まるもの。もともと知事が計画への同意前に県民に十分説明して理解を求めていれば、こんな言葉は出てこないはずです。
 最後に「私が判断して計画に同意したのだから、県民は私を信頼していればいい」と暗に言っていますが、これもおごりとしか受け取れません。次の知事選で当選することを前提にしているのでしょうが、次の次、さらにその次の選挙はどうでしょう。知事の野党が知事選で勝利したら、計画への同意が覆される可能性だってあります。未来永劫にわたって県(知事)が「責任を持ち続ける」ことなんて考えられません。
 私はプルサーマル計画の是非を論じているわけではありません。おためごかしの理由をあげて、県民投票への動きをけん制するその姿勢が「おかしい」と申し上げているのです。
 知事が今考えるべきことは計画への県民の理解をさらに得る努力です。沖縄の基地と同様、安保やエネルギー問題と住民投票はなじまないとの論議もありますが、一方で住民が問題をさらに考えるきっかけにもなります。
 全国初となった沖縄の県民投票と、基地建設の是非を問う沖縄県名護市民投票の二つを取材した私からの提言です。<佐賀支局長・野沢俊司>

毎日新聞 2006年9月19日

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